灰色の国 (くるー)

創作小説をはじめ、その他徒然と書いています。

発想の逆転 (視点の切り替え ~パラシフ~ )

今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」

 

 

はい!

2016年も残すところあとわずか!

 

 

 様々なことがあった1年な気がします!

 

 

 

 

完全に個人的な特記事項で言うのであれば…

 

それこそ

子どもの頃から漠然と そして今現在も

”抱え続けている感情”との付き合い方を

なんとなくではありますが、獲得しつつある一年でした。

 

 

 

 

 

それは

 

このブログの一記事より

 

http://blog.livedoor.jp/psy_ot/archives/63686294.html

 

 http://blog.livedoor.jp/psy_ot/lite/

 

『なんとなく死にたい人へ』

 

 

くるーの脳内( 辛い… はぁ、死にたい)

 

 

辛く苦しいとき

そしてそれらから逃げ出し辛い状況だと余計に なんとなく そう思ってしまいます。

 

 

と いった具合に

実はとてもとてもメンヘラな くるーですが…

( ˙-˙ )

 

 

某都知事も会見での発言にあったパラダイムシフト(発想 視点の転換)ですが

 

そうです。

 

 

”根本の自分のスタンス・視点”を変えた上で

逆に正面から (その辛い事案へ)突っ込む!

 

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これは 案外 『嫌だ 嫌だ!』って思っているよりも 精神的にも 肉体的にも個人的には楽になります!

 

完全に私ごと視点の2016年振り返りでしたが…

 

 

 

 

追記で言うのであれば

私の生業は 人の生死をわける場面に立ち会うことが多々 あります。

 

そして その都度 人の死について 死生観について考えさせられます。

 

 

現在の解答として

『 生きるものは必ず死ぬ。

誕生から成長 そして老いから朽ち亡くなるまでは、変えることのできない理(ルール)

この理は 例え受け入れ難くとも、変えることのできないもの。受け入れるしかない。』

  

自身の、特に ”仕事の人”としてのくるーとしての死生観を再検討 再構築するきっかけがあった1年でした。

 

 

以上です!

 

Crybaby us March

 

此の世へ生まれでた瞬間から

僕たちは

何千 何万回と 涙を流す。

 

悲しい涙 寂しい涙 悔しい涙 嬉しい涙

ワケのわからない涙

 

顔は笑顔かもだけれども

心は泣いているのかも。

 

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泣き虫達は今日も行く。

涙を流しながらでも

 

泣き虫達は その泣き声を

合唱しながら進みゆく。

 

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~Crybaby us March~

『 泣き虫達の行進曲 』

 

自画自賛のTV番組にうんざりです

 

『 日本人のここがすごい!』

『日本は〇〇が優れている』

『外国人へ聞いた 日本のすごさ』

etc

 

 

最近 私ことくるーはTVを見ません。

 

観るとしても ニュース番組や 一部のドラマ番組のみです。

 

 

バラエティ番組って 子供の頃からあまり好きではありませんでした。

 

 

内輪で賑やかに ワイワイわちゃわちゃ

ゲラゲラ笑っている人達を見ていると、なんだか子供の頃に感じていた”嫌悪感に類するもの”に近い感覚を覚えます。

 

 

そして最近 上記のような『自画自賛番組』が、

とても多いような気がします。

 

 

確かに外国の文化の人達から見たら『信じられない』と思うようなことが多々あると思いますが

逆もまた然りなのでは?

 

 

日本は 技術 経済力 ともに世界トップクラスかもしれません。

 

しかし 同時に

そんなトップクラスの力を有する国で生きながら生活をする国民の中に

生活苦から抜け出せない人も、年々 比例して増えています。

 

 

結構 ご存知ないのでは?

当然です。

 

 

人間誰しも

自身へは関係の無い事柄は”無いものと同義”であるからです。

 

 

『 日本人の私たちはこんなにもすごいんだ! 』

TVによってそうゆう風に、刷り込んでいかれるのかな?

 

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と、いった具合にネガティヴぐちぐちのくるーでしたが

吐き出してスッキリしました!

”悪鬼”と呼ばれた老人の弟子

 

…それは暖かな春の日の出来事だった。

 

幼く親の無い僕は、縁者や知り合いの家を転々と回りながら暮らしていた。

 

もちろん学校へは通っていない。

同い年くらいや、若しくは僕よりも小さい子が通学カバンを背負って歩いている様子を見ると

何故か僕は口の中が酸っぱくなる。

 

 

ある日 漠然と思った。

 

(このままではいけない)と。

 

僕は当てもなく、とにかく歩いた。

目的地は無い。

あるとしたら、それは ここでは無い何処か なのだろう。

 

僕は見たことのない 大きな庭のある 古い家の付近で綺麗な花を見た。

 

不意に何かが僕へ問いかけた。

 

『お前の望むものを与えてやろう。…代償は、それに見合ったものでどうだ?』

 

僕はゆっくりと首を縦に降る

『…欲しい。みんなが当たり前と言える暮らしをしたい。』

 

風が吹き、花が綺麗に揺れた刹那

 

花が表情を変えた。

 

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目の前が真っ暗になったと思ったら、次には

僕は見たことのない景色のなかにいた。

 

真っ白な天井に壁、僕はどうやらベットへ横になっているようだ。

 

この時初めて気がついた。

 

(音が…なにも 聴こえない?)

 

白衣を着たお医者さんや看護婦さんが、文字盤などで説明をしてくれる。

 

道端で倒れていた僕を見つけた人が救急車で僕を病院へ連れて着てくれたらしい。

 

 

『音が聴こえない原因は不明』とのことだった。

 

3日後、僕の病室へ見知らぬ老人が訪ねてきた。

 

高齢であろう風貌ではあるが、背筋はしっかりと伸び、長い真っ白な白髪を後ろで一本縛りで結っている。

そして何より表情は険しい。

老人が僕を見つめた後に、自分の上着のポケットからメモ帳とペンを取り出し何かを書き始めた。

 

『お前は対価を支払った。…今度は俺が支払う番だ。』

 

僕はなんのことか理解できなかったが、どうやら老人が僕を引き取ってくれるらしい。

 

 

老人の家に引き取られてからの生活が始まった。

 

まずは箸の持ち方や食事の仕方、読み書き、掃除、

そして唇を見て相手の言っていることが理解できるようにとの教育もあった。

 

 

その他に、おじいさんは家の庭で薬草をつくり調合し薬をつくる「薬師」をやっているようで、

僕も少しずつ薬師としての勉強をしていった。

 

 

この頃から近所付き合いも学んだ。

 

…近所のおばさんたちが僕やおじいさんを見ると「こんにちは」と挨拶を返すも、そののちの、身を寄せ合い何かを話していた。

その際、読み取れた言葉は「あのおじいさん…やっぱり変わり者よね。あんな孤児まで引き取るなんて…〈あき〉って呼ばれてるだけはあるわ」と。

 

 

僕はおじいさんに尋ねた。

「あのご近所さん、おじいさんのことを〈あき〉って呼んでた。〈あき〉ってなに?」

 

おじいさんは無言で紙に漢字を書いた

「悪鬼」と

 

おじいさんは 悪い…鬼…?

 

 意味が分からなかった。

 

 

僕がおじいさんの家へ引き取られ10年が過ぎた。

 

僕は薬師として、おじいさんほどでないとしても、それなりの知識と腕を得ることができた。

 

 

それは今年一番の寒波がきた早朝

おじいさんは眠ったまま目覚めることなく、そのまま息を引き取った。

 

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遺言書が出てきた。

 

「この家を含むすべての財産を、養子へ譲与する。

もう一つ、この遺言書開封後 この薬草園の片隅にある木へ神酒を注ぐこと。」

 

 

薬草園の片隅には、大きな桜の木があった。

遺言通り、桜へ神酒を注ぐとその刹那、白昼夢が見えた。

 

満開の桜 その周囲を取り囲む面をつけた人たち。木の幹には鬼の面が括り付けてあった。

 

 

意識が戻ると、今まで気が付かなかったのか、木の根元にある大きな石には文字が彫られていた。

 

「命は奪い続けるもの、命は即ち悪。我が一族は悪である。」と

 

 

悪鬼…

おじいさんの一族は この地域では代々そう呼ばれていたらしい。

 

大昔から薬学に通じ、時に死の淵にあるものまで救うことができるほどの知識や技術が

頼りになる反面、周囲には不気味がる者もいたらしい。

 

 

おじいさんは僕を一人でも生きていけるように育ててくれた。

 

おじいさんは僕の親であると同時に師匠でした。

僕も、これからは…

悪鬼の弟子として、

命をもらいながら 命を救うことのできるよう

薬師として 生きていきます。

 

京風車の夢

 

十数年ぶりに田舎へ里帰りをした。

 

仕事は順調、一人で生計も立てつつ、実家の父や弟 妹たちの家計も支えてきた。

 

 

仕事が、予想外に早く片付き 早めの年末年始休暇をもらって帰る。

 

 

実家へ帰ると、父と、 見違えるほど大きく成長した兄妹たちが出迎えた。

 

その夜 父と晩酌をしながら話しをした。

 

『…もう、お前も お前だけの為に…好きなようにしてもよきゃー…

…考えんば、お前にゃ 酷なことばかりを強いてきたのに、おミャーは文句ひとつ言わずに、家を支えてくれた…。ありがとな』

 

父の背中はこんなにも小さかっただろうか?

 

その夜 実家の自分の部屋で寝ていると、不思議な夢をみた。

 

 

 

幼い頃使っていた 茶碗やコップ、お気に入りだった白いワンピース

もう既にこの世からいなくなってしまっていた母

この里の 子供の頃の友達

その友達と 山の夕日が沈むまで夢中になった鬼ごっこ遊び。

 

 

そこで目が醒め、改めて実家の庭を見た。

 

実家の庭の片隅に あまり見慣れない花が咲いていた。

 

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京風車…花言葉は…

 

花言葉 『 楽しい想い出 』 etc

 

色彩をもたない僕の世界

 

僕は生まれつき 色の区別がつかない。

一般的には 色盲と呼ばれるものだ。

 

昨今では『色盲差別用語だ!』みたいな意見が、僕達のような当事者の知らぬ間に言われ出し”色覚異常”なんて呼ばれたりする。

 

僕こと 佐崎秀(しゅう)は物心ついた頃から この体質なので、僕自身はあまり深く考えたことがなかった。

が、周囲は違った。

なんだか 気を遣われることの方が、申し訳ないし疲れる。

 

そんな僕だが、 親の影響で幼い頃から音楽を学んでいた。

中学・高校と吹奏楽部へ入部した。

 

僕はテナーサックスを担当

 

 

中学時代から今現在まで続く腐れ縁の水谷桜(さくら)とは、

しょっちゅう方向性などで衝突を繰り返すも、それでもなんだかんだ 気の許せる仲ではある。

 

桜はパーカーションを担当

 

 

18歳 高校卒業間近の2月

僕は所属する吹奏楽部のメンバー達と卒業旅行へ行った。

 

 

 

観光名所をワチャワチャと回っていると、後方から声をかけられた。

 

『…秀?あんた 普段は無愛想に ムスッとしてるのに、なに幸せそうな顔してるのよ?…なんか腹立つわね〜』

 

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『…そうかな?

…なんだろう?この景色みたいなもんだろうな。

お前達には鮮やかな色彩が見えているんだろう?

…俺にはそれはわからないけど…なんだろうな?…

…そうか、これ、桜じゃん。

色彩とかはわからないけどさ、”綺麗”だなって。…ほら?お前みたいにさ』

 

 

声にだしていて気がついた。

僕は恥ずかしいことを言ったのではと?

 

ちらっと桜の方を見る

 

桜は大きな瞳がせわしなく上下左右に動きながら、口をパクパクとさせている。

 

すると今度は、キレ気味の口調で

 

『…っ!このっ…、バーカ! バーカッ!そんな小っ恥ずかしいこと平気に言えるなんて、それでも日本男児か?!』

 

まくしたてるようにそう言いながら、桜は人混みへ消えていった。

 

不便はあっても、不自由ではない。

色が有る無しなんて本当に些細なこと…少なくとも僕にとってはそうだ。

 

綺麗も不幸も 幸せも、自分でしかわからない。

 

少なくとも僕にとって

この日常 生活 世界はとても とても綺麗で美しい。