灰色の国 (くるー)

創作小説をはじめ、その他徒然と書いています。

春の歌

今週のお題「わたしの春うた」

 

春の歌って色々とありますよね。

例えば「さくら」が付く曲名は本当に多いですね

ちなみに桜が付く曲の中で私が好きな曲は「いきものががり SAKURA」です!

 

…ですがっ!

私 くるーの「私の春のうた」はこれ!

 


スピッツ / 春の歌

 

スピッツの春の歌です

 

今も 昔の変わらず、また色褪せずに

この春の季節になると、毎年必ず聴いています。

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追記

「春のうた」でおすすめがあと二点

KANA‐BOONの「さくらのうた」と「桜の詩」です。

 

ちなみにKANA‐BOONのこの二曲は「ひらがな曲派」と「漢字曲派」の二勢力?が存在するそうです笑

子どもの頃の"当たり前"と大人になった今の自分

 

子どもの頃は当たり前のように

大きくなったら 高校、大学で勉強をして

社会に出たら仕事をして

結婚をして 子どもと家庭をつくる。

 

というのが 当たり前にできると思っていた。

 

根拠もなく、また誰からか言われたわけでもないのだけれど

それでも それが"当たり前"だと思っていた。

 

成長するにつれて色々とわかっていった。

 

その"当たり前"は容易なことではないことに

 

 

勉強だって、難しくて

子どもの人間関係ですら難しくって 

次第に学校が嫌いになり 

"当たり前"の"大人"のお手本のような存在であった両親も、また 自分と大差ない人間だとわかっていく。

 

歳を重ねるにつれて、人と打ち解けることがどれほど難しいかを思い知る。

 

大人の仕事というものは、

もっと理路整然とされた仕組みでできているものだとも思っていたけれど

殆どの場合、その場凌ぎのような事柄と、無計画な社会なんだとも思うようになる。

 

いつの頃からかはわからないけれど、

自分のことがわからなくなる。

又は自分が自分ではないような感覚に陥る。

 

考えるのを辞めたくなる。

…でも それだけは 私はしない。

 

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『人は考える葦である』


パスカルの「パンセ」の中の言葉。

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの。

(❇︎写真は葦ではありません)

 

 

"当たり前"とか"普通"とか、その他諸々

考えることを辞めたなら、若しくは辞められたのなら、どれほど楽だろうけれど

私はそれをしない。

 

 

私の苦手

褒められるのが苦手

 

最近、取り分け 今現在の生業を志した学生時代から

私こと くるー 褒めてもらうことが多かったです。

 

周りの方々が良い方達だからだとも思いますし、自画自賛ではありますが 私自身、自分にもそれなりに厳しく勉強と業務に従事してきました笑

 

しかし、

自分自身でも『それなりに努力している』という自覚があっても…

 

褒めてもらえることが苦手なんですっ!

 

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矛盾していますかね?

 

ただ、何故でしょう?

『流石だな!』や『やっぱり凄い、偉いね!』などの純粋な褒め言葉を

素直に受け取ることができないのは何故なんだろう?

無法地帯!

お題「今日の出来事」

 

うちの職場や部署に限らずだろうけれども…

くるー

『 どうして管理職の…トップが居ない時に限ってイレギュラーが多発するんだっっ!』

 

…救急隊員と警察官とを、同じ日に対応し、最後はこの低気圧の関係か?男子記録システムのダウン…

 

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くるー

『やってられるか?!!!』

私の変な癖 笑

 

私の変な癖 

 

人それぞれ「癖」または「口癖」などそれぞれあると思います。

例えば、私の友人の複数名(男女他わず)は「椅子へ座ると足を組む」という癖や「会話をする際に腕組をしている」などの人がいます。

 

(ちなみにGoogle先生に「 仕草 癖 心理 」などで検索すると、いろいろ面白いものが出てきますがそれはまたべ別の話で)

 

私、くるー 自身に上記の癖はありません。

 

しかし、別の癖があります。

 

自覚しているものだけで2つ

 

1つ目は主に仕事中にやる癖で

「眉間をペンや指でぎゅっと押さえる」です。

これは大体、考え事をするときや文章をまとめるときに、気が付くと(無意識に)やっています。

 

問題は2つ目

これは口外していない癖で…

時々無性に

自分の腕を噛みたくなり、噛みついてしまう」ことです。

 

端から見たら「やばいやつ確定」ですよね苦笑

 

くるー

…やばいっていう自覚はあるんですっ!…でも我慢できなくて…!』とまあ、なのでもちろん一人の時のみやっています。

 

(ちなみにリストカットの延長とか、そういった関係のものではないと思うのですが…)

 

(別になにか特別な不満があるわけではないですが)

 

私がこれをやるのは

「単純に噛み応えが良い」という理由で…ってそれでもやばいやつじゃないですか?!

 

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まあでも、ヤバイやつでいいです笑!

 

 

 

 

 

"普通の基準"がどこかへ消えて

 

普通

特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
たいてい。通常。一般に。

広辞苑より引用

 

最近、耳にして嫌な気分になるフレーズの上位が

普通、そうでしょ! 』や『 普通に考えておかしいよ』と上からまたは 怒りながら言っている様

 

広辞苑の意味の真っ先に出てくる

『特に変わっていないこと』とあるように

普通(ノーマル)=変わりがないこと

…しかし、もっと言うならば、

"普通を口にする人"にとって"変わりない事柄"のことを『普通』と言うらしい。

 

 

失礼を承知で言わせてもらうのならば、時代や、場所、年齢、出自も違えば、違うのは当たり前で、んでもって

最近更に お国的にも 

世界基準らしい『多様性の尊重』が謳われています。

外国人の招致や、異文化の取り込み

 

しかし

日本という国柄が尚更なのか?

いくら多様が流れてきても、ただ軋轢が生じているだけに感じます。

 

国民同士でも尚のこと…

 

昔から普通とはどこまでを指すのか疑問でしたが

ここ最近、何故だか

普通の基準というものがどこにあるのかわからなくなってきました。

 

それは私だけなのか? この国だけなのか?

それとも国際的になのかも、正直検討がつきません。