Unknown
知らない道 知らない街 知らない人 見慣れない風景・空気
そして
誰も僕のことを知らない。
此処からまた、始めるんだ。
Your believe ?
『私の信じるものはこうあるのだ。』
と言ったとして
大概の場合 それは
『こうあらなければならない』や『こうあるべき』と言う己自身のみの思いであって
押し付け的な思いであると同時に
それは思考停止も意味する。
故に イレギュラーが許容できない。
”視野が狭い”人の特徴の一因
なんて( ̄▽ ̄)
ノエルと甘味
難しく考えなくて良いんです。
複雑なこの世界だけれども
”大事な居場所があって
大切なものを守る”
それこそが 私の行動する根拠
言葉には 言霊などの”力”があるのだから
『言葉には力がある。
…一度放ってしまった言葉は、取り消すことはとても難しい。』
他人から言われた些細な言葉で、とても傷つくことも度々…
…逆もまた然り。
言葉には責任がある
と、私自身は思います。
若い頃って案外
気軽に『死ね!』や『くず!』とかの言葉を吐いてますよね〜
『子どもだから…』と言って、
個人的には許して良いとはあまり思いませんが…
(と言っても…いくつになっても言う奴はいますけど笑)
話しは変わりまして、
言葉は、武器や薬 毒 などになります。
だからこそ
使う人の良識が問われると思います。
追伸 せめてこの聖夜だけでも 優しい夜でありますように
檻の外の暗闇の世界を視て
過去を引きずり
しがらみに縛られ
足には鉄鎖を嵌められて
その鎖を 確認しながら歩かなければ
転んでしまう。
或る日突然 檻の鍵は開いた。
鍵は開いたが 檻から出ることができなかった。
だって 鉄鎖が付いたままだもの。
外の世界へ出ることなんて できやしない。
檻の外から一人の人がやってきた。
頭上から その人が話しかけてきた。
『 Look at me (私を見て)』
面をあげて その人を見ると こう続けた。
『 私を見て。
足元ばかり見ていては 進めない。その鉄鎖は もう自身の力で外せる。
外へ自由に出ることもできる。 私たちならできる。 』
最後まで 自分を檻に閉じ込めていたのは自分自身だったんだ。
檻の外は真っ暗でわからない未知の世界
それでも この人となら歩いて行けると信じている。
発想の逆転 (視点の切り替え ~パラシフ~ )
今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」
はい!
2016年も残すところあとわずか!
様々なことがあった1年な気がします!
完全に個人的な特記事項で言うのであれば…
それこそ
子どもの頃から漠然と そして今現在も
”抱え続けている感情”との付き合い方を
なんとなくではありますが、獲得しつつある一年でした。
それは
このブログの一記事より
http://blog.livedoor.jp/psy_ot/archives/63686294.html
http://blog.livedoor.jp/psy_ot/lite/
『なんとなく死にたい人へ』
くるーの脳内( 辛い… はぁ、死にたい)
辛く苦しいとき
そしてそれらから逃げ出し辛い状況だと余計に なんとなく そう思ってしまいます。
と いった具合に
実はとてもとてもメンヘラな くるーですが…
( ˙-˙ )
某都知事も会見での発言にあったパラダイムシフト(発想 視点の転換)ですが
そうです。
”根本の自分のスタンス・視点”を変えた上で
逆に正面から (その辛い事案へ)突っ込む!
これは 案外 『嫌だ 嫌だ!』って思っているよりも 精神的にも 肉体的にも個人的には楽になります!
完全に私ごと視点の2016年振り返りでしたが…
追記で言うのであれば
私の生業は 人の生死をわける場面に立ち会うことが多々 あります。
そして その都度 人の死について 死生観について考えさせられます。
現在の解答として
『 生きるものは必ず死ぬ。
誕生から成長 そして老いから朽ち亡くなるまでは、変えることのできない理(ルール)
この理は 例え受け入れ難くとも、変えることのできないもの。受け入れるしかない。』
自身の、特に ”仕事の人”としてのくるーとしての死生観を再検討 再構築するきっかけがあった1年でした。
以上です!
Crybaby us March
此の世へ生まれでた瞬間から
僕たちは
何千 何万回と 涙を流す。
悲しい涙 寂しい涙 悔しい涙 嬉しい涙
ワケのわからない涙
顔は笑顔かもだけれども
心は泣いているのかも。
泣き虫達は今日も行く。
涙を流しながらでも
泣き虫達は その泣き声を
合唱しながら進みゆく。
~Crybaby us March~
『 泣き虫達の行進曲 』