灰色の国 (くるー)

創作小説をはじめ、その他徒然と書いています。

Your believe ?

 

『私の信じるものはこうあるのだ。』

と言ったとして

大概の場合 それは

『こうあらなければならない』や『こうあるべき』と言う己自身のみの思いであって

 

押し付け的な思いであると同時に

それは思考停止も意味する。

 

故に イレギュラーが許容できない。

 

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”視野が狭い”人の特徴の一因

 

 

なんて( ̄▽ ̄)

言葉には 言霊などの”力”があるのだから

 

『言葉には力がある。

…一度放ってしまった言葉は、取り消すことはとても難しい。』

 

 

他人から言われた些細な言葉で、とても傷つくことも度々…

…逆もまた然り。

 

 

言葉には責任がある

と、私自身は思います。

 

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若い頃って案外

気軽に『死ね!』や『くず!』とかの言葉を吐いてますよね〜

『子どもだから…』と言って、

個人的には許して良いとはあまり思いませんが…

(と言っても…いくつになっても言う奴はいますけど笑)

 

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話しは変わりまして、

言葉は、武器や薬 毒 などになります。

 

だからこそ

使う人の良識が問われると思います。

 

 

追伸 せめてこの聖夜だけでも  優しい夜でありますように

 

 

檻の外の暗闇の世界を視て

 

過去を引きずり

しがらみに縛られ

足には鉄鎖を嵌められて

その鎖を 確認しながら歩かなければ

転んでしまう。

 

 

或る日突然 檻の鍵は開いた。

 

鍵は開いたが 檻から出ることができなかった。

だって 鉄鎖が付いたままだもの。

外の世界へ出ることなんて できやしない。

 

 

檻の外から一人の人がやってきた。

頭上から その人が話しかけてきた。

 

『 Look at me (私を見て)』

 

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面をあげて その人を見ると こう続けた。

 

『 私を見て。

足元ばかり見ていては 進めない。その鉄鎖は もう自身の力で外せる。

外へ自由に出ることもできる。 私たちならできる。 』

 

最後まで 自分を檻に閉じ込めていたのは自分自身だったんだ。

 

檻の外は真っ暗でわからない未知の世界

 

それでも この人となら歩いて行けると信じている。

発想の逆転 (視点の切り替え ~パラシフ~ )

今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」

 

 

はい!

2016年も残すところあとわずか!

 

 

 様々なことがあった1年な気がします!

 

 

 

 

完全に個人的な特記事項で言うのであれば…

 

それこそ

子どもの頃から漠然と そして今現在も

”抱え続けている感情”との付き合い方を

なんとなくではありますが、獲得しつつある一年でした。

 

 

 

 

 

それは

 

このブログの一記事より

 

http://blog.livedoor.jp/psy_ot/archives/63686294.html

 

 http://blog.livedoor.jp/psy_ot/lite/

 

『なんとなく死にたい人へ』

 

 

くるーの脳内( 辛い… はぁ、死にたい)

 

 

辛く苦しいとき

そしてそれらから逃げ出し辛い状況だと余計に なんとなく そう思ってしまいます。

 

 

と いった具合に

実はとてもとてもメンヘラな くるーですが…

( ˙-˙ )

 

 

某都知事も会見での発言にあったパラダイムシフト(発想 視点の転換)ですが

 

そうです。

 

 

”根本の自分のスタンス・視点”を変えた上で

逆に正面から (その辛い事案へ)突っ込む!

 

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これは 案外 『嫌だ 嫌だ!』って思っているよりも 精神的にも 肉体的にも個人的には楽になります!

 

完全に私ごと視点の2016年振り返りでしたが…

 

 

 

 

追記で言うのであれば

私の生業は 人の生死をわける場面に立ち会うことが多々 あります。

 

そして その都度 人の死について 死生観について考えさせられます。

 

 

現在の解答として

『 生きるものは必ず死ぬ。

誕生から成長 そして老いから朽ち亡くなるまでは、変えることのできない理(ルール)

この理は 例え受け入れ難くとも、変えることのできないもの。受け入れるしかない。』

  

自身の、特に ”仕事の人”としてのくるーとしての死生観を再検討 再構築するきっかけがあった1年でした。

 

 

以上です!

 

Crybaby us March

 

此の世へ生まれでた瞬間から

僕たちは

何千 何万回と 涙を流す。

 

悲しい涙 寂しい涙 悔しい涙 嬉しい涙

ワケのわからない涙

 

顔は笑顔かもだけれども

心は泣いているのかも。

 

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泣き虫達は今日も行く。

涙を流しながらでも

 

泣き虫達は その泣き声を

合唱しながら進みゆく。

 

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~Crybaby us March~

『 泣き虫達の行進曲 』