”悪鬼”と呼ばれた老人の弟子
…それは暖かな春の日の出来事だった。
幼く親の無い僕は、縁者や知り合いの家を転々と回りながら暮らしていた。
もちろん学校へは通っていない。
同い年くらいや、若しくは僕よりも小さい子が通学カバンを背負って歩いている様子を見ると
何故か僕は口の中が酸っぱくなる。
ある日 漠然と思った。
(このままではいけない)と。
僕は当てもなく、とにかく歩いた。
目的地は無い。
あるとしたら、それは ここでは無い何処か なのだろう。
僕は見たことのない 大きな庭のある 古い家の付近で綺麗な花を見た。
不意に何かが僕へ問いかけた。
『お前の望むものを与えてやろう。…代償は、それに見合ったものでどうだ?』
僕はゆっくりと首を縦に降る
『…欲しい。みんなが当たり前と言える暮らしをしたい。』
風が吹き、花が綺麗に揺れた刹那
花が表情を変えた。
目の前が真っ暗になったと思ったら、次には
僕は見たことのない景色のなかにいた。
真っ白な天井に壁、僕はどうやらベットへ横になっているようだ。
この時初めて気がついた。
(音が…なにも 聴こえない?)
白衣を着たお医者さんや看護婦さんが、文字盤などで説明をしてくれる。
道端で倒れていた僕を見つけた人が救急車で僕を病院へ連れて着てくれたらしい。
『音が聴こえない原因は不明』とのことだった。
3日後、僕の病室へ見知らぬ老人が訪ねてきた。
高齢であろう風貌ではあるが、背筋はしっかりと伸び、長い真っ白な白髪を後ろで一本縛りで結っている。
そして何より表情は険しい。
老人が僕を見つめた後に、自分の上着のポケットからメモ帳とペンを取り出し何かを書き始めた。
『お前は対価を支払った。…今度は俺が支払う番だ。』
僕はなんのことか理解できなかったが、どうやら老人が僕を引き取ってくれるらしい。
老人の家に引き取られてからの生活が始まった。
まずは箸の持ち方や食事の仕方、読み書き、掃除、
そして唇を見て相手の言っていることが理解できるようにとの教育もあった。
その他に、おじいさんは家の庭で薬草をつくり調合し薬をつくる「薬師」をやっているようで、
僕も少しずつ薬師としての勉強をしていった。
この頃から近所付き合いも学んだ。
…近所のおばさんたちが僕やおじいさんを見ると「こんにちは」と挨拶を返すも、そののちの、身を寄せ合い何かを話していた。
その際、読み取れた言葉は「あのおじいさん…やっぱり変わり者よね。あんな孤児まで引き取るなんて…〈あき〉って呼ばれてるだけはあるわ」と。
僕はおじいさんに尋ねた。
「あのご近所さん、おじいさんのことを〈あき〉って呼んでた。〈あき〉ってなに?」
おじいさんは無言で紙に漢字を書いた
「悪鬼」と
おじいさんは 悪い…鬼…?
意味が分からなかった。
僕がおじいさんの家へ引き取られ10年が過ぎた。
僕は薬師として、おじいさんほどでないとしても、それなりの知識と腕を得ることができた。
それは今年一番の寒波がきた早朝
おじいさんは眠ったまま目覚めることなく、そのまま息を引き取った。
遺言書が出てきた。
「この家を含むすべての財産を、養子へ譲与する。
もう一つ、この遺言書開封後 この薬草園の片隅にある木へ神酒を注ぐこと。」
薬草園の片隅には、大きな桜の木があった。
遺言通り、桜へ神酒を注ぐとその刹那、白昼夢が見えた。
満開の桜 その周囲を取り囲む面をつけた人たち。木の幹には鬼の面が括り付けてあった。
意識が戻ると、今まで気が付かなかったのか、木の根元にある大きな石には文字が彫られていた。
「命は奪い続けるもの、命は即ち悪。我が一族は悪である。」と
悪鬼…
おじいさんの一族は この地域では代々そう呼ばれていたらしい。
大昔から薬学に通じ、時に死の淵にあるものまで救うことができるほどの知識や技術が
頼りになる反面、周囲には不気味がる者もいたらしい。
おじいさんは僕を一人でも生きていけるように育ててくれた。
おじいさんは僕の親であると同時に師匠でした。
僕も、これからは…
悪鬼の弟子として、
命をもらいながら 命を救うことのできるよう
薬師として 生きていきます。