泥の舟
「彼」は、他の大人たちと同様に、
成人すると、大きな海へ旅立ちました。
ある者は、もとからある力で「立派な船」の乗務員に
またほかのある者は、とても賢く努力家で、
その努力の結果、船ではなく「飛行艇」の乗員として旅立ちました。
そして今回の「彼」が搭乗した船は、「歴史と伝統」でひと際、名の通った船でした。
「彼」がその船に乗り始めてから半年、とある違和感を感じました。
「この船の航路は本当に、船長の言う方向へ向かっているのか?」と
しかしまじめな「彼」は、
小さな疑問を抱えつつも、日々の仕事に励んでいました。
疑問はありつつも「彼」は今、とても充実した日々を送れているからでした。
「彼」がこの船に来て1年、
突然、中堅の船員が『船を降りる』と言って去っていきました。
他の誰もが、多かれ少なかれ
不安に駆られつつも、それでも船を動かすために、みんなで仕事に励みました。
けれどもその一件を皮切りに、
半年後には「2等航海士」が、
さらに半年後にも、もう一人と、次第に「船から降りる」大人たちが増え始めました。
船長たちは、乗員の補充を行いましたが、
抜けてしまった穴は、そう簡単には埋められません。
「彼」をはじめ、他の乗員へも順番に、割り振りの仕事が増えていき、
次第にその割り振り分の重責から、
身体を壊す者も出てきました。
一人、また一人と脱落し、
それでも「船」は止められません。
「彼」がこの船に来て3年が経ちました。
「彼」もまた、限界に達していました。
けれども
『他の乗員もそれは同じだ』
そう思い「彼」は船から降りませんでした。
けれども「彼」は頭の中で、常々こう思っていました。
『沈みゆく泥舟を、沈没させぬよう、乗員全員でこぎ続け、船を動かしている。
そしてこの船にとどまる限り、沈む船をこぎ続けることに人生になる』のだと。