灰色の国 (くるー)

創作小説をはじめ、その他徒然と書いています。

子どもの頃の"当たり前"と大人になった今の自分

 

子どもの頃は当たり前のように

大きくなったら 高校、大学で勉強をして

社会に出たら仕事をして

結婚をして 子どもと家庭をつくる。

 

というのが 当たり前にできると思っていた。

 

根拠もなく、また誰からか言われたわけでもないのだけれど

それでも それが"当たり前"だと思っていた。

 

成長するにつれて色々とわかっていった。

 

その"当たり前"は容易なことではないことに

 

 

勉強だって、難しくて

子どもの人間関係ですら難しくって 

次第に学校が嫌いになり 

"当たり前"の"大人"のお手本のような存在であった両親も、また 自分と大差ない人間だとわかっていく。

 

歳を重ねるにつれて、人と打ち解けることがどれほど難しいかを思い知る。

 

大人の仕事というものは、

もっと理路整然とされた仕組みでできているものだとも思っていたけれど

殆どの場合、その場凌ぎのような事柄と、無計画な社会なんだとも思うようになる。

 

いつの頃からかはわからないけれど、

自分のことがわからなくなる。

又は自分が自分ではないような感覚に陥る。

 

考えるのを辞めたくなる。

…でも それだけは 私はしない。

 

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『人は考える葦である』


パスカルの「パンセ」の中の言葉。

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」として、人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したもの。

(❇︎写真は葦ではありません)

 

 

"当たり前"とか"普通"とか、その他諸々

考えることを辞めたなら、若しくは辞められたのなら、どれほど楽だろうけれど

私はそれをしない。