~拝啓~ 師匠へ
from 師匠へ
師匠へ
この頃はいかがお過ごしですか?
私は 色々とありました。
キツイこと 辛いこと 悲しいこと も沢山あったけれども
それと同じくらいに
笑い疲れるような出来事や それらを一緒に共有することのできる仲間
理解者も、なんだか増えてきた気がします。
でも なんでですかね?
無性に消えたくなるんです。
不安で涙が出てしまうこともあります。
せんせい
やっぱり私は、師匠が居ないのは嫌です。
貴方からは もっと色々なことを教えてもらいたかったです。
師匠へ
私はいつか 貴方に追いつけるように成ります。
そして いずれは必ず 貴方のところへ行く定めです。
それは10年後かもしれませんし、もしかしたら明日かも知れません。
だからです。
貴方と対面するその時まで
私は貴方の弟子として
それでもやって行きますから
”Nocturne”的 自我
…僕(あたし)の明日はどうなるだろうか?
もしかしたら、明日のあたし(僕)は
今のあたしと同じなのかな?
『…I if… … I tink……』
僕(あたし)は…
それでも また立ち上がり
歩けるだろうか?
感情殺人と無神論者
『 僕は夜 こころを殺した 』
ありふれた日々
特別な不満も無く
だからと言って”幸せ”でもなくて
こんなにも過不足がない日常の中 僕は不意に死にたくなる。
傷がついても感情を出さず
哀しくても 笑顔で繕う。
『 人は不平等が当然である 』
命の重さは平等ではない。
神様なんていない。
これは僕の持論
仮に神様が実在したとして
神様って 案外なにもできないじゃないかな なんて?
信じて救われるのならば
こんなにも かなしいことが
この世界にあふれているわけがない。
舞路
花 咲く この丘
今日も一人で舞っている
静かに身体を動かし
輪転し続ける。
時を経て
花が咲き
景色が変わる。
幾つもの 同じ舞を踊る者
増えてゆく
輪廻は交わり
互いに手をとる
また みち 輪廻し
異なるみちへ歩みだす。
温もりの残った 空の手を
只々 にぎり
握り締め
腕振り歩く。
お伽話と言う名の知識
(前述として物語やおとぎ話などにでてくる教訓は”知識”として解釈し
知識自体に善悪もないと結論した上での記述となります。)
これからの話しは
歴史にも残らない、ほとんどの人達が知りもしない人の物語
もしかしたら 空想の
お伽話なのかもしれないし、
背びれ尾びれがついた 話しなのかも
記録として残らなくとも
知らなくとも
それでも
受け継がれてゆく話しがある。
フェアリーテールだとしても
ウォルクスメルフェンだとしても
先人の話は 貴重な財だ。