お伽話と言う名の知識
(前述として物語やおとぎ話などにでてくる教訓は”知識”として解釈し
知識自体に善悪もないと結論した上での記述となります。)
これからの話しは
歴史にも残らない、ほとんどの人達が知りもしない人の物語
もしかしたら 空想の
お伽話なのかもしれないし、
背びれ尾びれがついた 話しなのかも
記録として残らなくとも
知らなくとも
それでも
受け継がれてゆく話しがある。
フェアリーテールだとしても
ウォルクスメルフェンだとしても
先人の話は 貴重な財だ。
Unknown
知らない道 知らない街 知らない人 見慣れない風景・空気
そして
誰も僕のことを知らない。
此処からまた、始めるんだ。
Your believe ?
『私の信じるものはこうあるのだ。』
と言ったとして
大概の場合 それは
『こうあらなければならない』や『こうあるべき』と言う己自身のみの思いであって
押し付け的な思いであると同時に
それは思考停止も意味する。
故に イレギュラーが許容できない。
”視野が狭い”人の特徴の一因
なんて( ̄▽ ̄)
ノエルと甘味
難しく考えなくて良いんです。
複雑なこの世界だけれども
”大事な居場所があって
大切なものを守る”
それこそが 私の行動する根拠
言葉には 言霊などの”力”があるのだから
『言葉には力がある。
…一度放ってしまった言葉は、取り消すことはとても難しい。』
他人から言われた些細な言葉で、とても傷つくことも度々…
…逆もまた然り。
言葉には責任がある
と、私自身は思います。
若い頃って案外
気軽に『死ね!』や『くず!』とかの言葉を吐いてますよね〜
『子どもだから…』と言って、
個人的には許して良いとはあまり思いませんが…
(と言っても…いくつになっても言う奴はいますけど笑)
話しは変わりまして、
言葉は、武器や薬 毒 などになります。
だからこそ
使う人の良識が問われると思います。
追伸 せめてこの聖夜だけでも 優しい夜でありますように
檻の外の暗闇の世界を視て
過去を引きずり
しがらみに縛られ
足には鉄鎖を嵌められて
その鎖を 確認しながら歩かなければ
転んでしまう。
或る日突然 檻の鍵は開いた。
鍵は開いたが 檻から出ることができなかった。
だって 鉄鎖が付いたままだもの。
外の世界へ出ることなんて できやしない。
檻の外から一人の人がやってきた。
頭上から その人が話しかけてきた。
『 Look at me (私を見て)』
面をあげて その人を見ると こう続けた。
『 私を見て。
足元ばかり見ていては 進めない。その鉄鎖は もう自身の力で外せる。
外へ自由に出ることもできる。 私たちならできる。 』
最後まで 自分を檻に閉じ込めていたのは自分自身だったんだ。
檻の外は真っ暗でわからない未知の世界
それでも この人となら歩いて行けると信じている。